竜洋町史をひもとく。

竜洋町史をひもとく・・・。

と、かっこよく言ってみたけど、図書館でこの本借りてきただけ。



この土地の地質とか気候とか町のおこりとか調べてみたら、

現代のいろいろなことと繋がって面白いかな、と思って。


そう、ブラタモリの影響です(笑)。


「竜洋町」といっても、既に磐田市に吸収合併統合されてしまっているので、

今ではその名前は使われていません。

わたしはここに住む前に、「竜洋町」なんてもちろん知りませんでした。

しかも、引っ越したその年に平成の大合併で磐田市になっていたので、

引っ越しのとき、カーナビで「磐田市岡」を探しても出なくて焦りました。

直前まで「磐田郡竜洋町岡」だったとは、知らなんだ。

ダーツの旅で当たりそうな(本当に一回当たりました)マイナー地名ですね。


大合併を経験された地区の方はみなさんおわかりかと思いますが、

静岡県西部地区で「どこに住んでるの?」って聞かれたら、未だに「竜洋です」と答えます。

「磐田です」って言うと、なんか嘘ついてるみたいな気がして・・・。


どこに住んでるの?

  ― 山口市です。

山口のどのへん?

  ― 新山口駅の近くです。

なんだ、小郡やんけ。


というような展開になるのと同じです(一部の地域の方にしかわかりませんか、汗)。


・・つい脱線してしまいましたが、この竜洋町史を開いてみますと・・・・、

弥生時代から始まってた(汗)。

最近になって、天竜川の河川敷で、釣り人が偶然弥生式土器を発見したそうな(ホンマかいな)。

だから、1800年前からこのあたりに人が住んでいたことになります。

その後(大きくとびますが、汗)、中央集権制になったときに静岡は伊豆国・駿河国・遠江国に分けられて、

ここ西部地区は遠江(とおとうみ)国になりました。

ちなみにこの「遠江」は浜名湖を指すらしい。

都から近い湖(琵琶湖)が「近江」で、都から遠いこちらは「遠江」。

この本ためになるなー。

この頃遠江はいくつかの郡に分けられ、その中に既に磐田郡という名前が存在していたみたいですね。


さて、我らが「岡」村は、17世紀に登場し、現在の岡とほぼ同じ区域を指しています。

当時の記録で40余戸となっているけど、

分家でどんどん世帯が増えていったのと、我々のように他所から入ってきた人が少々とで、

今は400世帯くらいあるはずです。

近所のオジサンが「ここはワシで4代目じゃ」と言っていましたが、4代目が今70歳ということは、

150年前くらいに分家したんでしょうかね。


その後バラバラだった村(今の岡・西平松・海老島等々の地区)が統合され、「袖浦(そでうら)村」となったので、

竜洋東地区は今でも袖浦地区という呼び方をすることがあります。

昭和30年代に竜洋町となり、平成17年に磐田市になったので、

竜洋町としての歴史は50年だけだったらしい。


長くなったので、今日は地域名の変遷だけで終わり(汗)。



磐田市は昨年が合併10周年。

目ぼしいイベントとしては・・・・、

NHKのど自慢と出張なんでも鑑定団が磐田にやってきたっ!!

(もうちょっと文化的な行事が話題になってほしい気がしますが、その2つしか知らない、汗。)


この10周年記念でわたしたち市民にとっていちばん影響が大きかったのは、

お昼と夕方の時報チャイムが「ふるさと いわた」という、ゆる~い昭和感満載の市歌に変わったことデス。

最近やっと慣れてきたかな・・・。

(でも、何故か朝7時はチャイムのまま。)



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